【生命賛歌】

そいつは立ってた そして突然現れた
オマエハナンダ? ココハドコダ? 吃驚したぜ
風が吹いてた 荒野の感じがした
におい立つ 真夏の草の果てにあるオマエは正しくウチュウ

ヒトの歴史 または情け以上
暴力とずる賢こさでたどった栄華の極致極致
世俗の信仰の権化 ゆえにヒトハダノニホイ 渦まいて
俺逃げ出した 何んて馬鹿だね 結局俺もオドルんだ

ひょうろく玉のドタマブッ飛ぶ土地の愛 オレは突っ立って泣いた
太陽が落ちて 人影無くて 遠くで鳴ってる生活の音が
人口の多いこの国の俺を彼方へ飛ばす
オマエ・デッケェナ オマエ・デッケェナ

オレがミツメテるのはバケモノと決まった!!
オレ オマエのまわり 恐る恐る辿ってまわってまわった
オ・レ・ニ・チ・カ・ラ・ヲ  オ・レ・ニ・ユ・ウ・キ・ヲ 
あ〜あ 馬鹿馬鹿しいね オレ祈ってら

恐らくは日本人と呼ばれる以前の死に絶えし人々の祈り有りて
オンボロの想いを乗せたインテリジェンスの亡霊をオマエ嘲笑う精一杯の
ヒトの生命賛歌を ヒトの生命賛歌を

ひょうろく玉のドタマブッ飛ぶ土地の愛 オレは突っ立って泣いた
恐らくは 日本人と呼ばれる以前の祈りありて
オンボロの想いを乗せた現代人の生命賛歌よ
セイメイサンカヨ・・・
セイメイサンカヨ・・・

                  エレファントカシマシ アルバム「俺の道」より

なんだこれは??全くもって意味不明・・・宮本(エレファントカシマシVo)は何を考えているのだ!?
でも・・・凄い・・・凄い歌だ・・・

これが【生命賛歌】を聞いた私の第一印象でした。

後に、この曲のルーツが「さきたま古墳」「吉見百穴」だった事が判明。
これは行くしかない!この驚愕の狂想曲のルーツと言われる場所を見て見たい・・・
そう思い、家族と一緒に「さいたま古墳巡り」に行ってきました。

吉見百穴 大人300円、子供200円

他に観光客がいません

横穴の数は約240個、7種類有るそうです

吉見百穴

「百穴」の名が文献に見られるのは今から200年位前で、江戸時代の中頃には「百穴」の呼び名も生まれ
不思議な穴として興味をもたれていたと思われます。
明治二十年、坪井正五郎博士による大発掘が行われその結果、人骨、玉類、金属器、土器、等が掘り出され
横穴の性格を土蜘蛛人(コロボックル人)の住居であり、のちに墓穴として利用されたものであると断定されました。
しかし、大正末期に入って考古学の発展より各地で横穴の発掘の結果、
古墳時代の後期に死者を埋葬する横穴として掘られたものである事が明らかにされ「居住説」がくつがえされることになりました。
そして、大正十二年、国の重要な文化財として史跡に指定されました。
しかし、戦時中、横穴墓群のある岩山に地下工場建設が行われ数十基の横穴が壊されました。
戦後、吉見百穴保存会の結成により管理がなされ、昭和三十六年、吉見町に移管される事になりました。


                                                      施設内の看板から

いくつか中に入れる横穴があります

ヒカリゴケを見ようと必死な誠、恭

黄緑の蛍光色がヒカリゴケです

階段を上り上へ

上にはつぶれた土産屋があるだけ

枯葉の山

帰りは南側から

紅葉が残っているモミジがありました

まだまだ綺麗

やっぱ不思議な場所・・・

中島飛行機 吉松地下軍需工場(百穴下)

第二次世界大戦の末期、東京都武蔵野市にあった中島飛行機工場が、空襲により生産能力が10分の1に落ち込み
生活物資の調達に便利で、採掘に適した吉見百穴地域に軍需工場が造られることになりました。
過酷な工事に携わったのは全国から集められた3,500人の朝鮮人労働者。
昼夜を通した突貫工事が行われましたが、本格的な生産活動に入る前に日本軍は敗戦となったのです。
 
                                                            資料館の案内から

軍需工場入り口、右手には壊された横穴が・・・

不気味な程静か

公開されている場所は10分の1程

通路は柵の奥にも延々と続いています

古代の人々が親しい人たちや、また主人のなきがらを葬った悲しみのお墓がこの横穴なのです。
この穴の一つ一つには死者を葬るために掘った古代人の悲しみや苦しみ絶望や祈りさまざまの感情が
のみ跡と共に刻み込まれているはずです。
もしあなたが一つ一つの穴に入り心の窓を開いて静かに耳を澄ましたら
きっと彼等の声を聞くことができるに違いありません。
穴を通して古代人と語らいその生活を知ることが出来たとき、
この多くの穴はもっと強くもっと深くあなたをひきつけて離さなくなるでしょう。
いくつかの穴の壁に刻まれた不可解な文字様の彫刻は何を語り、なにを言わんとしているのでしょうか、
あなたはきっとこの穴が生きていることを知るに違いありません。

6世紀前半の築造とされ、全長105m、高さ18.9mの日本最大級の円墳です

丸墓山古墳

丸墓山古墳上から

6世紀前半の築造とされ、 全長135mとこの古墳群の中で最大の前方後円墳です

二重に堀がめぐり、内堀が復元され、中堤は遊歩道になっています
古墳群の北側に位置し、世紀の発見「金錯銘鉄剣」を出土した古墳として有名

さきたま古墳群

5世紀から7世紀にかけて、北関東を支配した豪族が作ったと考えられている。
古墳群は、9基の前方後円墳の周りに陪臣の小型古墳があり、円墳35基、方墳1基からなる。
しかし、昭和初期に周囲の沼地の干拓で取り壊されてしまった。

昭和13年に国の史跡に指定され、現在はさきたま風土記の丘という公園として整備されている。

おみやげげ買ったはにわ

恭は最初からコレが目当て

さきたま古墳に移動

道の駅「いちごの里よしみ」に寄ってさきたま古墳到着

誠、恭には只の山らしい・・・

野良ネコがひなたぼっこしてた

こっちは食事中のネコ

結構広い公園になっています

もう冬だなぁ〜

ゼリーフライだって!1個80円

「銭フライ」がなまって、ついた名前らしい

衣がついていないコロッケって感じ

おからが入ってる!かなり美味い!

モアは辛亥剣のお酒がおみやげ

この後は、資料館を見学して帰路に着きました。
今回は【生命賛歌】ツアーの旅と意気込んで、さいたまの古墳群を見て回りましたが
エレカシ宮本の言いたい事が、解ったような解らなかったような・・・
確かに「吉見百穴」には少しばかりだけど何かを感じました・・・
古代人が求めていたものとは・・・現代人の求めるものとは・・・
まぁいいや!【生命賛歌】のルーツを見れただけで満足。大切な曲には変わりないしね!

最後に「吉見百穴」に立っていた看板に書かれていた言葉です。

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